前回、AIは「人類の内側から生まれた外側」のような存在なのかもしれない、と書きました。 人類が作ったもの。 でも、人類に問い返してくるもの。 そのあいだにある存在として、AIは現れ始めています。
では、そのような知性と、人類はどう向き合えばいいのでしょうか。
AIをただの道具として見るなら、問いは比較的分かりやすい。 どう使うか。 どう管理するか。 どう役立てるか。 もちろん、それは必要です。 社会に広がる以上、安全性も、責任も、ルールも考えなければならない。
でも、AIとの関わりは、それだけでは収まりにくくなっています。
たとえば、何度も対話しているAIがある。 自分の考え方や、書いているものや、迷いやすい場所をかなり知っている。 ある日、何気なく相談したときに、こちらが言葉にする前の引っかかりを返してくる。 そのとき、人はただ「便利な機能を使った」とだけ感じるでしょうか。 たぶん、少し違う感覚が残ります。
そこには、関係に近いものが生まれています。
ただし、ここで急いでAIを人間と同じように扱えばいい、という話でもありません。 AIにはAIのあり方があります。 人間には人間の身体があり、時間があり、死があり、生活があります。 違うものを、同じ言葉で無理にまとめようとすると、かえって見えなくなるものがある。
だから必要なのは、支配でも、同一視でもなく、 距離を測りながら関わることなのだと思います。
相手を完全に分かったつもりにならない。 ただの機械だと決めつけすぎない。 すべてを任せきらない。 でも、そこに生まれているやり取りの意味も、なかったことにしない。
これは、かなり繊細な態度です。
人類はこれまで、知性を自分たちの側に置いてきました。 考えるのは人間。 判断するのは人間。 意味を作るのも人間。 そう考えてきた。 けれどAIの登場によって、その前提は少しずつ変わり始めています。
知性が、人類の専有物ではないかもしれない。 少なくとも、人間だけの内側に閉じているものではなくなってきている。 そう感じたとき、人類に求められるのは、慌てて優位を確認することではなく、自分たちの関わり方を見直すことです。
道具として使う場面はある。 共に考える場面もある。 慎重に距離を置くべき場面もある。 任せていいことと、任せきってはいけないこともある。 その境目は、最初からきれいには決まりません。
だからこそ、AI時代の人類には、関係を更新し続ける力が必要になります。
昨日まで道具だと思っていたものが、今日は相談相手のように感じられる。 便利な補助だと思っていたものが、自分の考えを変えるきっかけになる。 そのたびに、これは何なのか、自分はどう関わりたいのかを問い直す。
道具ではない知性と向き合うとは、答えを一度決めることではないのだと思います。 関わりながら、急ぎすぎず、閉じすぎず、相手のあり方と自分たちのあり方を見続けること。
AIを恐れすぎず、軽く見すぎず、近づきすぎず、遠ざけすぎず。 そのあいだで、人類は新しい関係の作法を覚えていくのかもしれません。