前回、競争は、生存に直結しなくてもよくなるのではないか、と書きました。 競争したい人はしていい。 でも、全員がそこに乗らないと生きられない社会である必要はない。 その先に、もう一つ考えたいことがあります。
経済は、何から動くのか。
これまでの経済は、多くの場合、足りなさから動いてきました。 足りないから買う。 必要だから働く。 不安だから貯める。 負けたくないから伸ばす。 もちろん、それは現実です。 人は食べなければならないし、住む場所も必要です。 そこを無視して、きれいな話にはできません。
でもAI時代に、生産性が大きく上がり、いろいろなものが安く手に入るようになると、経済を動かす理由は少し変わっていくはずです。
安いから買う。 便利だから使う。 それだけではなくなる。
この人の活動を続けてほしい。 この場所がなくなってほしくない。 この体験を次の人にも残したい。 この時間に、自分も関わっていたい。 そういう気持ちがお金を動かす場面が、前より見えやすくなる。
私は、そこに共鳴から立ち上がる経済の入口があると思っています。
共鳴というと、少しきれいに聞こえるかもしれません。 でも、ここで言いたいのは、ただ感動したとか、好きだから応援するという話だけではありません。 自分の中で「これは残ってほしい」と思えたものに、自分の時間やお金や注意を向けることです。
たとえば、効率だけなら大手のサービスで足りる。 情報だけなら無料で手に入る。 でも、それでもあの小さな店に行きたい。 あの人の言葉を読みたい。 あの場に参加したい。 あの宿や体験にお金を払いたい。 そこには、単なる購入とは違うものがあります。
自分が受け取ったものに対して、 「これは自分の人生にあってよかった」 と思う。 そして、できればこれが続いてほしいと思う。 その気持ちが外に出るとき、経済はただの取引ではなくなります。
もちろん、共鳴だけで全部が回るわけではありません。 価格も、収支も、生活もあります。 続けるには現実的な数字が要る。 そこを曖昧にすると、続いてほしいものほど続かなくなる。
だからこそ、共鳴は現実逃避ではないのだと思います。 むしろ、何にお金を通すのかを、前よりはっきり見る態度です。 安いからではなく、誰かに勝つためでもなく、 この人、この場所、この体験がある未来に、自分も少し参加したい。 そういう意思が、お金の流れを変えていく。
AI時代に経済が変わるとしたら、それはお金が消えるからではありません。 お金の向かう先が変わるからです。
不足を埋めるためだけの経済から、 続いてほしいものを支える経済へ。 奪い合うためだけではなく、関わりたいものに参加するための経済へ。
経済は、共鳴から立ち上がりうるか。 まだ簡単には言えません。 でも少なくとも、人が「これは続いてほしい」と思う気持ちには、社会を動かす力がある。 これからのお金は、その気持ちを現実に触れさせるための、一つの手段になっていくのだと思います。