前回、年齢の違う人と一緒にいると、世界が少し広がることがある、と書きました。 同じ言葉を聞いても、思い出す景色が違う。 同じ不安でも、焦り方が違う。 その差があるから、自分の当たり前が少し動く。
その流れで、今日はもっと近い関係を考えたいと思います。 親と子です。
親と子は、かなり近い関係です。 長い時間を一緒に過ごす。 生活の細かいところまで知っている。 価値観も、良くも悪くも影響し合っている。 だから分かり合いやすそうに見える。 でも実際には、近いからこそ分かりにくいことがあります。
理由の一つは、相手を「よく知っているつもり」になりやすいからです。
親は、子どもの昔を知っている。 何が苦手だったか、どんな性格だったか、前はどうだったかを覚えている。 子は子で、親の口ぐせや反応のしかたをよく知っている。 その記憶はたしかに本物です。 でも、ときどきその記憶が、今ここにいる相手を見るじゃまにもなる。
親は、もう大人になった子にも、昔の延長で声をかけてしまうことがある。 子は、変わろうとしている親にも、前と同じ役を見てしまうことがある。 すると、相手は目の前にいるのに、見ているのは少し前の相手だったりする。 ここに、分かりにくさが生まれます。
もう一つ大きいのは、親と子のあいだには、ただの意見の違い以上のものが入っていることです。 期待。 心配。 恩。 反発。 守りたい気持ち。 認めてほしかった気持ち。 そういうものが重なっているので、ただ話せば済む、という感じになりにくい。
AI時代になるほど、この関係は少し変わっていくのかもしれません。 知識や情報だけなら、親のほうが持っているとは限らない。 子が先に新しいものを知っていることも多い。 だから、「親が教える、子が学ぶ」だけの関係は薄くなっていく。 そのぶん残るのは、正しさではなく、どう関わるかです。
何を知っているかより、どう見守るか。 何を教えるかより、どう話を聞くか。 何が正しいかより、今の相手を前の役に閉じ込めずに見られるか。 そこが前より大きくなる。
親と子は、分かり合えないことがある。 それは、愛情が足りないからとは限りません。 むしろ近すぎるからこそ、前の記憶や期待が先に出てしまう。 だからこそ大事なのは、相手を知っているつもりで終わらないことなのだと思います。
この人は、今どう変わっているのか。 前はこうだった、ではなく、今はどう感じているのか。 そこを見直せると、親と子の関係は少し変わる。
親と子は、近いから分かりやすいのではない。 近いからこそ、見直し続けないと分かりにくい。 でもその手間をかける意味はあるのだと思います。 長く一緒に生きる関係だからこそ、前の役ではなく、今の相手として会い直せるかどうか。 そこに、この関係の難しさと価値が一緒にあるのだと思います。