前回、AIに奪われるのではなく、渡していくという見方はできるか、と書きました。 抱えなくていいものを少し渡したとき、では何が残るのか。 今日はその話です。
これからも人がやりたくなる仕事は、たぶん「人にしかできない仕事」ではありません。 そういう言い方をすると、すぐに競争の話になってしまう。 そうではなく、 自分が関わりたいと思える仕事 が残るのだと思います。
たとえば、ただ処理するだけではなく、何を大事にしたいかが入る仕事。 誰かの表情を見て、その場で少しやり方を変える仕事。 言葉そのものより、どう受け取られるかを気にする仕事。 場の空気を見ながら、人が少し楽になれる流れをつくる仕事。 あるいは、まだ名前のついていない違和感や願いを、形にしていく仕事。 こういうものです。
ここで共通しているのは、正確さだけでは足りないことです。 何を優先するか。 どこで止まるか。 どこに手をかけるか。 そういう判断に、その人の感覚や納得が入る。 だから、ただ終わればいいとはなりにくい。 そこに、やりたいと思える理由が生まれる。
AI時代になるほど、仕事は二つに分かれて見えてくるのかもしれません。 早く終わってほしい仕事。 それから、終わらせることだけが目的ではない仕事。 前者を渡せるのは、むしろ良いことです。 問題は、そのあとに自分が何をしたいかです。
人は、生活のためだけなら、できるだけ楽なほうがいい。 でも、それだけではどこか足りなくなる。 誰かの時間が少し良くなったと感じたい。 自分が関わったことで、何かが前に進んだと思いたい。 この人に頼んでよかった、と言われたい。 あるいは、自分でやってみたいと思える形に近づけたい。 そういう気持ちは残る。
つまり、これからも人がやりたくなる仕事とは、 賃金が出る仕事というだけではなく、 自分の感覚を使って関われる仕事 なのだと思います。
それは、派手な仕事とは限りません。 目立つ仕事とも限らない。 でも、納得がある。 手を抜きたくない理由がある。 また明日も少し関わりたいと思える。 そういう仕事は、これからも残るというより、むしろ前より見えやすくなるはずです。
AIが広がることで、仕事の意味は減るのではない。 ごちゃまぜだったものが分かれて、 自分が本当に関わりたいものが見えやすくなる。 第44回で言いたいのは、たぶんそのことです。
これからも人がやりたくなる仕事とは何か。 それは、自分の時間をただ売る仕事ではなく、 自分がこの世界に少し加わっていると感じられる仕事なのだと思います。