前回、関係が変わることは、必ずしも失敗ではないと書きました。 近かった人と少しずつ会わなくなること。 前と同じ距離ではいられなくなること。 それは、全部が裏切りではない。 今日は、その続きです。
では、離れることはどうなのか。 人はふつう、離れることに少し罪悪感を持ちます。 冷たい気がする。 相手を見捨てるようで気が引ける。 前はあんなに近かったのに、と思う。 その感じはよく分かります。
でも実際には、離れたほうがいい関係もあります。 会うたびに少し無理をする。 話したあと、毎回少し疲れる。 何か悪いことを言われたわけではないのに、自分が少しずつ減っていく感じがある。 こういうとき、ただ続けることだけを善にすると、人は自分の感覚を後回しにしやすい。
ここで大事なのは、離れることが相手の否定と同じではない、ということです。 相手が悪い、と決めることとは違う。 ただ、今の自分とは距離が合わない。 今の自分には、この関わり方は少し重い。 そういうことはある。
AI時代になるほど、この話は少しむずかしくなります。 つながり続けることが前より簡単になるからです。 連絡先は消えない。 近況は見える。 何となく関係が続いているようにも見える。 だから、離れるという判断が前より曖昧になる。 でも、つながっていることと、無理なく関われることは同じではありません。
ときには、少し距離を取ることで見えてくるものがあります。 前は近すぎて分からなかったこと。 自分がどこで無理をしていたのか。 その人といた時間の中で、本当は何を受け取っていたのか。 離れると、全部が消えるわけではない。 むしろ、残るものだけが少しはっきりすることがある。
前ほど会わなくなっても、一緒に通ってきた時間の感触が残っていることがある。 その感じがあるなら、その関係はなくなったのではなく、形を変えたのかもしれません。
誰かと生きるとは、いつまでも同じ距離でいることではない。 近づく時期もある。 少し離れる時期もある。 それでも、そのときそのときで、自分にも相手にも無理の少ない形を探せるなら、それは冷たさだけではないのだと思います。
離れることは、切り捨てることとは限りません。 ときには、自分を守ることでもあるし、 関係を壊しきらないための距離でもある。 その見方を持てると、人との関わりを、もう少しやさしく見られるのだと思います。