前回、AIが相談相手としてかなり優秀になるほど、友人は「答えをくれる相手」より、同じ時間を生きていく相手として意味がはっきりしてくるのではないか、と書きました。 その続きで、今日は雑談のことを考えたいと思います。
雑談は、役に立たない話だと思われがちです。 結論もない。 学びも薄い。 何かが前に進むわけでもない。 だから忙しいと、つい後回しにされる。
でも本当にそうなのか。 AIが相談や整理をかなり担えるようになる時代ほど、この問いは大きくなる気がします。
困りごとをまとめる。 選択肢を比べる。 考えを言葉にする。 そういうことは、AIとかなりできる。 では、人と話す意味はどこに残るのか。 その一つが、たぶん雑談です。
今日見た変な雲の話。 なんとなく入った店が思ったより良かった話。 帰り道に少し疲れた、という一言。 こういうことには、答えがありません。 でも、こういう話を交わした相手とは、少しずつ同じ時間が増えていく。
ここが大きいのだと思います。 雑談は、情報を渡すためだけのものではない。 同じ世界を生きている感じを確かめるための時間 でもある。
人は、問題があるときだけ誰かとつながりたいわけではありません。 むしろ何も解決しなくていい時間の中で、 この人と話すと少し楽だとか、 この人にはこういうことを言ってしまうとか、 そういう感覚が育っていく。 それが、あとからかなり大きい。
雑談のよさは、予定どおりに進まないことにもあります。 思ってもいなかった話になる。 少し笑う。 変な沈黙が入る。 何でもない話のはずなのに、あとでふと思い出す。 そういう時間は、効率だけで見れば無駄に見えるかもしれない。 でも人間関係は、こういう無駄のようなものの中で生まれやすい。
AIは、かなり上手に応答してくれます。 でも雑談には、内容だけでは足りないところがある。 同じ天気を見ていたこと。 同じ街を歩いていたこと。 その日そのときの気分が少し混ざること。 そういうものが入ると、話は情報ではなく、共有した時間になります。
だからAI時代に雑談の意味は薄くなるどころか、むしろ変わっていくのかもしれません。 問題を解くための会話が外に出ていくぶん、 人と人のあいだには、何も解決しないけれど一緒に時間を生きる会話の価値が前に出てくる。
雑談は、役に立たない話ではないのだと思います。 それは、まだ名前のついていない親しさが育っていく時間です。 そして友人とは、そういう時間を何度も重ねた相手のことなのかもしれません。